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旅行記(番外編)飛行機内でのドクター コール 「機内で病人が発生しました。お医者さんがいましたら、客室乗務員にご連絡下さ い。」これはドラマにもよく出てきそうな状況です。でも、実はこのアナウンスに多くの 医者が困惑し、名乗り出ようか躊躇し、たぶん沈黙を守るのです。黙っていれば、医 者かどうかは誰にもわかりません。でも、同伴者がいると知らんぷりできないので困 る場合もありますが。 何故でしょう?マスメディアで医者のバッシングがひどいように、そんなに多くの医者 が冷酷で無責任だからでしょうか?その答えになる医者の立場や心境を書いた論 文を下に披露します。 「機内にお医者さんがいましたら、客室乗務員にご連絡下さい。」飛行機が普及して 国際化の進む現在、多くの医師が直面し、躊躇する問題だと思われます。聴診器も ない、心電図もとれないのにどんな患者さんなのか?どの位の時間拘束されるの か?パイロットに聞かれた時に、飛行を続けていいのかそれとも近くの空港へ緊急 着陸をすべきかの判断を委ねられるのか?自分の専門領域で対処できるのか?機 内にはどんな医療機器や薬があるのか?「報酬」は期待できるのか?医師の良心 は?道徳的、倫理的問題と同時に無国籍の上空での法的責任問題は?着陸した 後もいつまで医師として責任を持たされるのか?多くの疑問がわきます。 実は、上記はベニスでの第5回ヨーロッパ旅行医学会のポスター発表で、アメリカ人 の Godfrey によるものです。この発表を見て、私はびっくりしました。何故なら、飛行 機の中で病人が発生し、医者を探されて名乗り出るのを躊躇するのは日本人に特 異的なことかなと思っていたからです。つまり、学校の授業中に先生に質問された 時に、よっぽど答えに自信がないと手を上げないのが日本人の特性だと思っていた からです。国によっては、答えなんかわからなくてもとにかく元気良くほぼ全員が手 を上げるようですけど。つまり、この問題が日本人の精神的な問題だけでなく、もっ と普遍的な、本質的な問題を含んでいるという事に気がついたのです。 医者の立場で、もう少し詳細に解説します。飛行機の中で呼ばれて診察をしようとし た場合、医者がまず考えるのは聴診器等の道具が使えるかということです。たぶ ん、心電図もとれないでしょう。もちろん、血液検査ができるはずもありません。現代 医学にとって必須のこれらの検査はまずできないということです。実際には、今では 心電図は搭載していることも多いようですが、大抵の医者はそんなことは知りませ ん。もちろん、どんな病気の患者さんか想像もつかないので、自分の専門領域や自 分の実力で対処できるかどうか不安です。ある医者はせめてどんな病状か知りたい と言います。例えば、「病人は男性で腹痛です。」とか。そうすれば、産科で妊娠の 可能性は心配しなくてもいいとわかります。でも、プライバシーの問題もあるのか普 通は「病人」としか言わないようです。それと同様に、もしある程度の診断がついたと しても、肝心の薬や注射が準備されているかどうかも多くの医者は知りません。これ も、実際にはある程度の薬は常備されているようです。でも、航空会社によって統一 されている訳でもなく、日本旅行医学会で習った私でさえ、具体的にはどの程度の 薬があるかも覚えていないし詳細はわかりません。 医者としては、最悪の診察状況にあるにもかかわらず、重病人の場合はパイロット には近くの空港へ緊急着陸をすべきかどうかの難しい判断を要求されそうです。経 営に素人の医者でさえ、緊急着陸したら一千万円(一億円?)単位の損失がでるこ とは想像できます。しかも、一旦名乗り出たらいつまで責任を持たされ、拘束される かわかりません。飛行機に乗っている間中、責任を感じ自分の席でくつろぐこともで きないかもしれません。場合によっては、着陸後にも一緒に救急車に乗らなければ いけないかもしれません。 マスメディアでの医者のバッシングに反して、多くの医者は本能的に(もちろん、倫理 的にも)病人を治したいと思っています。でも、アナウンスを聞いて短時間の間に以 上のようなことが頭に浮かびます。しかも、報酬もなく、つまりボランティアなのです。 呼ばれて診察したら、エコノミークラスから空いているビジネスクラスに移してもらえ たという噂は聞いたことがあります。運がよかっただけです。しかし、多くの場合はせ いぜい粗品程度で、報酬と呼べるものではありません。実際に、外国のある医師が ずっと治療のために患者のそばにいたので、治療費を航空会社に請求する訴えを 起こしたところ却下されたそうです。つまり、航空会社はあくまでも報酬を払う気は全 くないということです。医者のボランティア精神に100%依存しているのです。そのく せ、外国の航空会社によっては、そのボランティアの医者に証明書はあるかとか失 礼な質問をする場合もあるようです。 一方、劣悪な診察環境にもかかわらず、結果が悪かった場合には法的責任を問わ れる恐れがあります。免責されるはずという意見もありますが、複雑な裁判のことで すから確証はありません。しかも、病人の国籍も不明です。法的に、上空は無国籍 ですからなおさら問題は複雑です。報酬もないのに、法的責任を問われる恐れがあ ります。それでなくても、最近は多くの日本の医者は普段の診療で理不尽な患者や 家族のクレームの増加に悩まされています。以上の理由から、大抵の医者は機内 で応援を要請されても名乗り出ないのです。でも、医者の名誉のために強調します が、気楽にアナウンスを聞き流しているのではありません。以上のようなことをその 医者の知識の範囲内で判断し、心の中で葛藤し、悩んだ挙句に躊躇して名乗り出る ことができないのです。 庶民が飛行機に乗るのが珍しかった時代と違い、現在は多くの人々が気楽に海外 旅行に行き、特に日本人にとっては、アメリカ大陸、ヨーロッパ大陸などへは10時間 以上のフライトを余儀なくされています。しかも、飛行機の大型化で4〜500人も搭 乗していることも珍しくありません。持病の多い高齢者の乗客も増えています。つま り、病人の発生する確率も高まっているのです。一方、私の個人的な推測では、そ の大勢の乗客の中に医者が乗り合わせている確率も決して低くないと思うのです。 航空会社がいつまでも医者の善意を期待し、報酬も払う気もないというのは余りに 無責任だと思います。乗客にとっても危険なことですし、不幸なことです。 そこで、私の提案ですが、そろそろIATA等で取り決めをし、飛行機の予約を入れる 時に意思のある医者には事前登録をしてもらえばいいと思います。特別食の注文と 同じで技術的には簡単なはずです。それも、医者のほうにも専門と自信の程度には 差がありますので、ランク付けしたらいいと思います。つまり、優先的に診察をする か、誰も他にいない時に診察するか等です。その代わりに、報酬もはっきりと取り決 めてもらわなければなりません。下戸の私は構いませんが、楽しみにしているワイン をセーブしないといけない医者もでてくるからです。もちろん、今回は一切仕事を忘 れて休暇を楽しみたいという医者は登録をしないという権利もあります。そして、事 前登録の時に、機内にある診察道具や内服薬、注射薬等の情報を医者の方に前も って知らせておくのです。そうすれば、前向きな医者の間に徐々に飛行機内の診察 に必要な情報も広まります。
ブッ飛びドクターの海外貧乏旅行記(1)フィレンツェでの学会 |