ブッ飛びドクターの海外貧乏旅行記  
(11)南米家族旅行

空飛ぶドクター





【まずリマへ】
医者になってアメリカに基礎医学(生殖免疫学)研究留学中の帰国前に、憧れの南
米旅行をしました。1988年の2月のことです。私としては珍しくツアーでした。アメリ
カン・エキスプレスのツアーでした。日本の慌ただしそうなツアーには興味ありませ
んが、アメリカのツアーなら少しは違うだろうと試してみたかったのと、ヨーロッパの
ように現地の事情がわからないので、さすがに少し不安だったからです。日本と同じ
く定番のツアーらしく、ペルーの首都、リマから古都クスコへ飛び、空中都市マチュピ
チュ見物。次に、ブラジルのリオデジャネイロ、イグアスの滝、そして最後が私にとっ
て長年の憧れの国、サッカーの英雄マラドーナの国、アルゼンチンの首都、ブエノス
アイレスです。

リマは南米の西海岸にあり、眺めのきれいな場所に連れて行かれました。私として
は少し意外でした。アメリカのカリフォルニア州のようなきれいな景色があるとは期
待していませんでした。しかし、街中は危険がいっぱいでした。私は世界中を回った
つもりですが、私が経験した中で間違いなく一番治安の悪そうな街でした。ニューヨ
ークのマンハッタンよりはるかに怖い。昼間の商店街でも、回り中が泥棒の目です。
命の危険は必ずしもありませんが、さすがの私もウィンドウショッピングも止めて、ホ
テルに戻りました。貧しい国の常で、可愛そうに小さい子が物売りにレストランに入
って来ます。当然、ウェイターからは怒られながらです。ショッキングだったのは、タ
バコを一箱ではなく一本単位で売りにくるのです。いくら物価が違うとは言え、哀れ
に思えてきます。でも、何の解決策にもならないので、私は一切買ってやりません。

【高地クスコへ】
リマから飛行機でいきなり標高3600メートル程度のクスコです。アメリカでシンシナ
ティへ移る前に住んでいたアルバカーキは標高2000メートル程度でした。少し似た
ような気候で、日差しは相当強いのですが、空気は冷んやりとしているのです。日本
の蒸し暑さとは全然種類が違います。むしろ、正反対と言っていいでしょう。息苦しい
まではないのですが、気のせいか少し歩くだけで息切れがします。風邪気味のせい
かもしれません。何か体が宙に浮いてふわふわした変な感じでした。それでも、普通
に昼間はクスコ市内の観光をしたのでした。完全におかしくなったのは、ホテルに夕
方チェックインしてからです。珍しく、頭痛がしだしたのです。コカインが入っているら
しいマテ茶を勧められて飲みましたが、何の効果もありません。ついには、ホテルに
備えられている酸素もしばらく吸入しましたが、同じく全く効果はありません。

【高山病発症】
その当時は、ほとんど知識がなかったのですが、高山病だろうとは気が付きました。
標高も高いし、何となく空気が薄いのもわかります。そのうち、吐き気まで催してきま
した。かみさんは私ほどではないですが、やはり少し頭痛とお腹の調子がおかしい
と言います。当時、1歳半のアメリカ生まれの長男は、もちろんはっきりした症状なん
か訴えませんが、やはり機嫌が悪い。ホテルに頼んで医者の往診を頼みました。頭
痛等できつい反面、自身が医者である私はどんな医者が来るか、どんな治療をして
くれるか興味津々でした。

男性の年配の医者がやって来ました。でも、予想に反して看護婦も連れずに、一人
でやって来ました。英語はほとんど喋れず、従ってほとんど説明はわかりませんでし
た。私の片言のスペイン語では全く歯が立ちません。薬を取りに自分の診療所に戻
ったようで、しばらくすると戻って来ました。でも、また一人です。注射を受けました。
それと内服薬です。当時の私にはどんな薬か想像もつきません。ペルーの高山病
の治療に慣れているはずの医者を信用するしかありません。これも同じく当時の私
には全く知識がなかったのですが、旅行保険などには入っていませんでした。でも、
運が強いのです。ここペルーは物価も安く、保険もないのに医者に請求されたのは
米ドルでたったの60ドルでした。家族3人診てもらってです。しかも往診なのにで
す。

どうも、睡眠薬を飲まされたようで、しばらくして熟睡しました。で、目が覚めたのは
翌朝ですが、スッキリとしています。もう頭痛も吐き気も全くありません。嘘のように
高山病が治ったのです。あのペルーの医者は名医です!でも、本来なら朝集合し
て、マチュピチュ行きの列車に乗るはずなのに、もう間に合いません。いまだに悔しく
て堪りません。結婚して3年目くらいですが、新婚旅行以来、私の旅に対する執念を
知っているかみさんはよっぽど高山病で私がきつかったのだろうと呆れていました。
日本旅行医学会で高山病の予防薬のアセタゾラミド(商品名ダイアモックス)を知っ
て以来、私は今度はダイアモックスを内服して、準備万端で近い将来マチュピチュに
行きたいと思っています。必ずしも、毎回高山病にかかるとは限りませんが、こんな
苦い経験のある私ですから、リスクは取りたくありません。副作用の少ない安全な薬
があるのですから。私が、現在日本旅行医学会のウェブサイトの認定医のリストに
載せ、積極的にダイアモックスの処方をしているのは、このような自分自身の苦い経
験があるからです。もっと多くの人にこんないい予防薬があると知らせてあげたいの
です。今考えると、注射はダイアモックスの注射薬だろうと思います。便利な内服薬
もあり、予防薬として旅行には持って行きやすいのですが。

すっかり元気を取り戻した私ですが、クスコからリオデジャネイロへの飛行機では面
白い経験をしました。ここでは、飛行機の座席指定券がないのです。まさか、オーバ
ーブッキングということはないと思うのですが、座席指定がないので、乗客が一斉に
走り出して競争です。早い者勝ちで座席を取りに行くのです。飛行機でなくバスなら
こんな風景も想像できますが。こんな経験は初めてです。今回の南米のフライトで
も、こんな経験はこの路線だけでした。

【リオデジャネイロ】
ここリオデジャネイロは単純に名前だけで一度は訪れてみたいと思っていました。歌
で知っているコパカバーナ・ビーチ、イパネマ海岸、コルコバードの丘の巨大なキリ
スト像と見所がたくさんあります。死ぬまでに一度は見たいと思っているリオのカー
ニバルは余りに有名です。でも、残念ながら旅した時は少し遅くちょうどカーニバル
が終わった後でした。

いつものように私のマイペースの旅行ですが、1歳半の赤ん坊を連れての旅で、し
かもクスコでは軽い高山病にかかり、かみさんの顔には明らかに不満が隠れていま
した。でも、ある日突然満面の笑顔になりました。南米では有名らしい H.スターンと
いうユダヤ資本の宝石店にツアーで連れて行かれたからです。さすがに、女性で
す。そういう店でウィンドウ・ショッピングするだけでも嬉しいようです。ふてくされた顔
から笑顔に変わりました。私のことですから、そんなに高い宝石は買ってやれませ
んが、それでも非常に喜んでくれました。きっと、彼女にとっては今回の南米旅行の
ハイライトでしょう。

【三大瀑布の一つ、イグアスの滝】
ここは非常に行く前から興味がありました。最初の海外体験(留学)地がナイアガラ
の滝の近くであり、今回の2年間のアメリカ留学中も友達を案内したりと何度も訪れ
ている私にとって、ライバルであるイグアスの滝は是非見たかったのです。共通点も
あります。ナイアガラの滝がカナダとアメリカの国境をまたいでいるように、ここイグ
アスの滝もブラジルとアルゼンチンの国境をまたいでいるのです。今回のツアーで
は、ブラジル側からのみの見学でしたが、ナイアガラよりはるかにスケールが大き
く、一言で表現するとジャングルにある滝の群れのようでした。有名なルーズベルト
大統領の奥さんのエレノアのせりふ「あぁ、可愛そうなナイアガラの滝!」。全く同感
です。その通りです。スケールで言えば、明らかにイグアスの勝ちです。次回は、ア
ルゼンチン側からと両方ゆっくりと楽しみたいと思いました。ナイアガラも色々な角度
から楽しめるのをよく知っている私ですから。

【泣かないでアルゼンチン】
一方、ここアルゼンチンは憧れている反面、何の具体的な知識もありませんでした。
サッカーのマラド−ナの国、パンパの大草原と美人とタンゴの国ということしか知り
ません。首都のブエノスアイレスも同様です。南米のパリと呼ばれている美しい町と
しか知りませんでした。

ブエノスアイレスは首都なのに、すぐ郊外にパンパがあり、ガウチョ(アルゼンチンの
カウボーイ)ショーを見に行きました。そこで当然の如く牛肉のステーキやソーセー
ジを食べました。ここアルゼンチンはアメリカに比べてももっと牛肉が安いのです。で
も、ステーキもソーセージも血生臭く、日本人の我々にはちょっと口に合いませんで
した。ツアーで一緒のドイツ系の人はおいしいとパクついていました。たぶん、肉の
処理がずい分違うのだと思います。肉食人種との差を実感しました。

ここの買い物でも、かみさんの目の色が変わりました。当時、日本では高嶺の花だ
ったカシミアのセーターが安いのです。と言っても、ファッションには全く興味のない
私は当時カシミアが何なのか、そんなに高級なのものか全く知りませんでしたが。し
かも、南米のパリと言われるだけあって、色のセンスが抜群です。これは私にもわか
ります。上品なピンク色のカシミアのセーターを買ったかみさんは終始上機嫌でし
た。このセーターは彼女が死んだ今も、我が家にはあります。サイズが合わないけ
ど、娘が時々着ています。

ある日、有名な大統領の奥さんのお墓へ連れて行かれました。確かに、貧富の差が
激しい国らしく、貧民の家よりも立派な家のようなお墓を見物しました。回りのアメリ
カ人のツアー仲間はみんな感激していましたが、我々は蚊帳の外でした。でも、何
年もしてミュージカルの「エビータ」を劇団四季で見て、マドンナの映画「エビータ」も
見て感激した私は、そのお墓がペロン大統領の奥さんのエビータのお墓だったと後
から知ったのでした。貧しい家に生まれ、大統領夫人にまで上り詰めたエビータはア
ルゼンチンの人々にとって、憧れの対象のようで絶大な人気のようです。「Don't
cry for me, Argentina!」のマドンナの歌がピッタリです。ちなみに、最近アルゼンチン
に女性大統領が誕生しましたが、エビータの再来ということが人気の一つの理由の
ようです。いずれにせよ、私にとってはアルゼンチンはもう一度ゆっくり訪れてみたい
国です。







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ブッ飛びドクターの海外貧乏旅行記  (12)ベネズエラでの学会