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ブッ飛びドクターの海外貧乏旅行記(2) 欧州家族旅行 空飛ぶドクター (2)ハンガリー、イタリア家族旅行 ![]() ![]() ![]() 2005年(平成17年)12月22日から2006年1月2日まで10泊12日で2年ぶりの 海外旅行へ行って来ました。行き先は、ハンガリーのブダペストとイタリアのナポリと シチリア島のパレルモです。平成16年2月にかみさんが突然、白血病で入院にな り、平成17年8月に死去するまで、さすがの私も外国へ行けず、色々な意味でスト レスが溜まっていました。さすがに配偶者の死というものは精神的にこたえるもの で、月日の経つのをじっと我慢しながら、せめて近い将来に楽しみを見出そうとし、 私にとっては一番の楽しみの海外旅行に家族全員で行こうと9月頃から考えていま した。平成15年の10月のイタリア学会旅行とその直後のワシントンDCへの学会旅 行以来、ちょうど2年以上になります。私にとって、2年も国内にずっといると窒息し そうになります。家族で行くのは、10年以上前、子供らがまだ小さい頃のラスベガス への学会旅行と4、5年前の韓国旅行以来です。 当然、子供4人全員と遺影を連れて行くつもりでした。でも、受験生の娘が塾の合宿 に行きたいというので、受験生でもあり置いていくことにしました。それで、男の子3 人と私の男だけの家族旅行になりました。さすがの私も少し心配で不安でしたので、 せめて携帯電話を国際ローミングができる3Gとやらに変更して行きました。これが こんなに役に立つとは夢にも思いませんでしたが。 今回の旅は出発前からハプニングの連続でした。まずは、飼っている3匹の犬で す。室内犬の2匹のシュナウザーは予定通り、1匹の両親の飼い主にお願いしまし た。問題は、外犬のシェルティーです。半分は娘もいるし、餌だけやってもらおうと勝 手にあてにしていた隣人が年末は忙しくて不在がちという理由で断られ、急遽近くの ペット・ホテルへ預けようとしたら、ワクチンを接種してないとダメと断られそうになり ましたが、強引にお願いしました。そして、出発の前日夕方、車で犬を預けに行きま した。そうしたら、車から降りる時、結果的に少し無理やり引っ張った形になり、変な 格好で犬が着地しました。キャンと泣くのですが、まあたいしたことはないだろうと店 に入ると回りが血みどろです。どうも爪が折れて出血しているらしく、お店の女性が 手馴れた様子で、圧迫止血を試みてくれましたが、止まりません。ペット・クリニック へ連れて行ってくれることになりました。どうせ、ホテルへ預けるので、彼女が面倒を 見てくれましたが、携帯電話で呼ばれ、全身麻酔をかけてきれいに抜爪しないとい けないので、飼い主の許可が要るので、来て欲しいと言われ、出発の前慌ただしい 中、ペット・クリニックへ行かされました。 夜は、娘も含め、岐阜の大学にいる長男以外の子供3人を連れて外食に行きまし た。すると、帰りは福岡にしては珍しく、雪が積もり車がスリップしてひやりとしまし た。翌日は、出発なのに大丈夫かと心配になり、朝早くのタクシーを予約しようと電 話すると、翌日の雪の状態次第なので予約は取れないと断られました。仕方がない ので、翌朝は早く起きることにして、心配しながらも寝ました。 翌朝は、福岡にしては珍しく雪が積もっています。嫌な予感がします。タクシー会社 に電話すると、まだ運転手が誰も営業所に来てないとのことで、もちろん断られまし た。困って、ダメもととJRの駅に電話してみると、何と電車は動いていると!博多駅 まで行ければ、後は地下鉄なので大丈夫です。飛行機が飛ぶかも心配でしたが、何 とか飛んでいました。そして、無事に早々と成田空港に着き、中部国際空港からの 長男と合流するはずでした。ところが、携帯にメールで、あっちも雪らしく飛ぶかどう かわからないとのこと。しばらくして、やっと機内にいるとのこと。それなら、もう大丈 夫だと返信。ところが、しばらくして、ギリギリまで待って結局、フライトはキャンセル とのメール。万事休すです。 元々、今回はチケットを取る時から色々ありました。いつものように、6社くらいにファ ックスとメールで格安航空券の見積もりをとりました。飛行機マニアの私は、どんな 航空会社の組み合わせになるか興味津々でした。すると、予想通り、KLMオランダ 航空だの、エアーフランスだの、関空経由だの、中部空港経由だの色々な組み合わ せでした。今回は私にしては、価格以上に乗り継ぎ等を優先して、結局成田経由の アリタリア航空主体のチケットを買いました。ただ、長男が福岡からの出発でないこ とやパスポートも福岡で作り直した関係で預かったままということを旅行会社の人に 伝えるのを忘れていて、発券の時に慌ててやり直しました。長男の中部空港から成 田までのチケットは、どうも国際線扱いらしく、旅行会社の人もはっきり知らないよ うでしたが、長男の航空券一式とともに、パスポートも宅急便で岐阜に送ってもらい ました。これが結果的に役に立ちました。 長男は成田まで来られず、昼過ぎのミラノ行きの便にはもう間に合いません。念の ため成田の日航のグランドホステスに聞くと、冷たく、格安航空券では変更は無理と 言われ諦めていました。ところが、我々(私と次男と三男)が搭乗する寸前に福岡の 旅行会社の担当者から電話があり、長男が一日遅れの翌日の同じ便に乗れるよう に手配中でたぶん大丈夫との連絡がありました。幸い、国際ローミングの携帯電話 に換えていたので、ブダペストに着いてからも連絡がつくので一安心して出発しまし た。後で冷静に考えると、10年以上も前に学会でベネズエラに行った時に、帰りのカ ラカスからマイアミへの便がクーデター騒ぎで空港が閉鎖されキャンセルされた時 も、問題なく空港再開後の翌日の便に乗れました。日航は冷たい。でも、マイレージ の特典券の関係でいつも利用しています。 機内では、次男が紙に書いた10位の旅行用イタリア語の文章を見せてくれました。 電子辞書から選んできたようです。センスのいいことに、以前私が指摘したよく使う、 場所を聞く表現「トイレはどこですか?」(Dov'e il bagno?)もありました。早速、スチュ ワードに「Grazie!」(有難う)と言ったら、「Prego.」(どういたしまして)と言われたと「何 か嬉しいやん!」と三男に自慢していました。些細なことですが、私はほほえましく 聞いていました。コミュニケーションの楽しさに目覚めてくれれば、外国語に興味を 持ってくれると思うからです。 今回のアリタリア航空のミラノ便は一昨年の日航便との共同便で全く同じ便でした。 夕方着いたミラノ空港では、乗り換え時間の余裕が余りなかったので、トリノ冬季オ リンピックのTシャツ等を買いそびれました。そして夜遅くブダペストの空港へ到着し ました。今は便利な時代で、聞いたこともなかったような国の通貨でも現地で、現地 の通貨を簡単にキャッシングできるのです。クレジットカードで5万フォリント(1フォリ ントは約0.6円)ほどキャッシングし、現金を準備しました。手数料に当たる経費も千 円程度です。一方、余った1万6千フォリント(約1万円弱)をイタリアのナポリの空港 で両替したらたったの50ユーロ(1ユーロは約140円)と約7千円としっかり目減りして いました。本当は弱い通貨の国、つまりハンガリー出国前に両替した方がもう少し は率がいいのですが、時間がなく入国してからになったのです。つまり、いずれにせ よキャッシングの方が両替のレートがいいうえに、便利です。ですから、私は海外旅 行の際は、2つの財布を持ち、一つにマスターカード(国際的にはCirrusカード)を、も う一つにビザカード(国際的にはPlusカード)を入れ、通貨も2種類入れ、万が 一盗難等の時も、一つだけでもカードが残れば安心と思っています。 タクシーでホテルへ着いたのはほとんど真夜中でした。インターネットで予約した部 屋は、運よく4人部屋が取れました。でも、最初の夜は3人だけでした。ついこの間ま で、家族といえば6人だったので、3人というとものすごく少なく感じます。ハンガリー は物価が安いのか、4人部屋で9千円と安い部屋でしたが、割と大きな小ぎれいな ホテルでした。テレビもあるし。もちろん、シャワーだけですが、今回は温泉めぐりで すから、室内のバスルームは不要です。 翌日の朝食は、まあまあでした。ビュッフェ形式で、トマトとキュウリのあっさりしたサ ラダが新鮮でおいしく、パンにつけるラズベリー・ブルーベリージャムや蜂蜜がおいし かったです。旅行中は整腸作用のあるヨーグルトは必ず食べます。早速、ゲッレー ルト温泉へ向かいました。今回の旅でブダペストを選んだ理由は中欧には行ったこ とがなかったのと、温泉が有名らしいと聞いたからです。将来のビジネスのための視 察旅行です。日本人にも楽しめる温泉かどうかチェックしておきたかったからです。 このゲッレールト温泉はドナウ川をはさんで西側(ブダの丘陵)にあり、豪華なホテ ルの中にある温泉で伝統的なハンガリー式の温泉のようでした。我々のホテルは東 側のペスト地区にあり、早速トラム(路面電車)で自由橋を渡り、ブダ地区へやって 来ました。入り口を間違うと付属した温泉病院でした。ヨーロッパでは温泉治療がか なり普及しているようで、国によっては医療保険も使えるそうです。 ドナウ川は著名で大きな川ですが、「美しく青きドナウ」と言う割には、少なくともブダ ペスト周辺ではきれいな水ではなさそうでした。何本も立派な橋が架かっていて、特 にライオンの像のあるくさり橋が一番古く有名だそうで、ブダの丘とドナウ河岸はユ ネスコの世界遺産に登録されているそうです。 温泉では、薄い布のようなバスタオルを受け取り、地下の脱衣所で着替えました が、鍵のかけ方が分からず困っていたら、係員がやって来て鍵をかけてくれ番号札 をくれました。風呂はまあまあでした。広い浴槽が二つありのんびりはできますが、 36℃と38℃と日本人には少しぬる過ぎます。でも、だからこそ湯にのぼせず長時 間入浴している人が多いようでした。私も子供と喋りながらのんびりしていたら、肥 満体の老人に静かにと注意されました。アメリカほどではないですが、この国も肥満 体が多いです。私の地声が大きいのでうるさかったのでしょう。もちろん、普通に喋 るのは構いません。ハンガリー人の印象は生真面目そうで、怖い感じというのが子 供らの印象でした。前もって持ってきた水着着用ですが、ここは混浴ではありません でした。でも、隣のプールは男女共用で反対側に女風呂があるようです。つながって います。もちろん、サウナ室もあり、マッサージ室もあります。残念なのは、日本の健 康ランドのように、中で食事できるようにはなってないことです。 次に、同じブダ地区にある王宮の丘へ行きました。少しは観光しようとしましたが、 子供たちは余り興味ないようなので、カフェに入りました。ここハンガリーはオースト リアの東にあり、きっとケーキはおいしいだろうと想像していました。たまたま観光地 の高級店らしく、値段は高かったですが pancake(本来は英語ではホットケーキの意 味)という英語訳のメニューのクレープに凝ったソースがかかったようなデザートは 非常においしかったですが、甘過ぎる分、やや量が多過ぎました。コーヒーもウィン ナー・コーヒー風でおいしかったです。外はもう暗く寒かったですが、マーチャーシュ 教会だの漁夫の砦だのを見学し、ドナウ川をはさんでペスト側の夜景を楽しみまし た。夜はダンス付きのレストランへ行きましたが、ベリーダンスもイスタンブールで見 たほどは上手でなく、劇も中世風でしたが意味もわからず余り面白くありませんでし た。子供らは白けていました。でも、ハンガリー料理は期待してなかった割にはまあ まあ美味しかったです。パプリカが名物で煮込み料理が有名だそうです。 それから、空港へ長男を迎えに行きました。大学生にもなれば、ミラノ空港での乗り 換えぐらいはできるだろうとは思いながらもやや不安でした。でも、無事に空港で合 流できホテルへ。やっと、4人全員そろいました。 翌日は、子供らが喜ぶだろうと思い、動物園へ行きました。英語の説明もほとんどな いし、名前もわかりませんが、みんな無邪気に喜んでくれました。普段は一人旅が 多いので、時に景色の写真を撮る程度の私ですが、今回は4人なので大分写真も 撮りました。今回気がついたのは長男がひょうきんで、写真を撮ってやるぞと言う と、いちいちみんなにポーズをとらせるのです。おかげで、今回はいい写真が沢山 撮れました。 ブダペストの目的である温泉めぐりに関しては、クリスマスが完全に裏目にでまし た。クリスマスイブとクリスマスの日は、温泉も休む所が多いのです。少なくとも、伝 統的な温泉は休みでした。ここで役に立ったのが携帯電話です。外国で電話をかけ るのは結構面倒ですが、今回は国際電話扱いになり少し高いとは言え、携帯電話 があるので、ガイドブックでチェックして電話して開いているかどうか前もって確認で きました。それで、仕方なく、2日間は高級ホテルに付随した混浴の温泉とプールと サウナとジャグジーが一緒になった、少し値段が高いところで我慢しました。2ヶ所と も悪くはなく、子供らはプールで遊んで喜んではくれましたが、伝統的な温泉を視察 したかった私としては残念でした。最後の日に、早起きして市民公園の中にあるセ ―チェニ温泉に行くつもりでしたが、よりによってこの日は寝過ごし、余り時間がなく なりました。それで、入り口に子供らを待たせて私だけ裸になり15分間の短時間で 「視察」しました。水着だけの裸で寒くて走り回りました。でも、ここは素晴らしい。ここ なら異国情緒のある温泉をゆったりと楽しめます。威厳のある建物で四方を囲ま れ、巨大な敷地の中に大きな露天風呂が二つ、三つあり、プールもあり、ジャグジー もあり、名物の「風呂チェス」をやっている老人達がいました。ゆっくり、子供達と風呂 に入れなかったのが残念です。 ここで、唯一ドイツ語が役に立ちました。ここの伝統的な温泉は入場時に前金を払 い、2時間以内だとかなり返金されるのですが、時間を見てたった20分程度の私の 時刻の記録を見て、係りのおばさんが不思議そうに尋ねます。英語は通じないの で、レストランのメニューにも英語と併記されてる独語が通じるかもと、片言の独語 で、時間がないのでとにかく見に来たと言ったら、納得した様子でした。 語学に興味のある私は、たいていの国の言葉は訪問する前には少し勉強するので すが、ハンガリー語(マジャール語)はお手上げでした。少なくとも、英語、独語、仏 語、西語、伊語どれにも似ていません。捕らえようがないのです。アルファベットは使 うものの、やたらめったら右肩下がりと右肩上がりのアクセント記号が使われていま す。オスマントルコに支配されていた時代が長いので、トルコ語に似ているのかもし れません。そう言えば、伝統的な温泉風呂は新婚旅行の時にちょっと覗いたことの あるトルコの大理石風呂に似ているような気もしました。オーストリア・ハンガリー帝 国の時代があったので、英語以外では独語が一部通じるようです。カフェ文化が発 達したのも同じ理由だと思います。 食べ物も同様です。特徴がない。敢えて言えば、ガイドブックに書いていたように、 野菜の惣菜としては色とりどりのパプリカ(ちなみに、ハンガリー語らしい)を多用し ています。アメリカで何度も食べたことのある Hungarian Goulash はグヤーシュと発 音するらしいですが、おいしいですがビーフシチュー(スープ)と大差はないです。パ プリカをたっぷりと煮込んでいるらしく、トマト味とは少し違います。でも、全体的に意 外なほどにおいしかったです。中心街の公園での屋台では、ジャガイモ料理やソー セージもあり、少しはドイツ料理にも似ているのかなと思いました。一般的には、ドイ ツ料理は余り評判がよくないですが、私はまぁまぁだと思います。イギリス料理は評 判通りですが。寒いせいか、飲み物はホットワイン(赤)が主流のようでした。下戸の 私には関係ないので詳細は省略します。 ハンガリー料理ではないですが、偶然ホテルの近くにドネル・ケバブの店を見つけま した。ガイドブックには回転焼肉と訳していましたが、羊肉や鶏肉を積んだやつをく るくる回しながらジックリ焼き、縦に削ぎ切ってポケット状のピタ(パン)に入れて食べ るやつです。最初に見たのはトルコだったので、店員にトルコ人かと聞くとイラン人ら しく、ケバブはイスラム圏のトルコ、中近東、アフリカ北部に広くあるらしいことを知り ました。隣に、目のパッチリしたペルシャ美人がいました。独特の香辛料が効いてい て子供たちも美味しいと気に入っていました。 ![]() ![]() ![]() 天候に関しては、寒いのを覚悟していましたが、今冬は福岡も寒かったので、許容 範囲内でした。さすがに、北国らしく市民公園には屋外のスケートリンクがあり、長 男と三男が滑りました。ええかっこしいの臆病な次男は辞退して私と待っていまし た。若干寒いものの、景色としても素晴らしい所で、待っている間も退屈しませんでし た。ここで、日本語の上手な若い女性に会いましたが、ブダペスト大学で日本語を専 攻しているそうで、2週間だけ日本に行ったことがあるそうです。それにしては、かな り流暢な日本語でした。 今回はクリスマスをヨーロッパで過ごせるので、非常に期待していたのですが、完全 に裏目にでました。ハンガリー人は非常に真面目な人種のようで、クリスマスのイル ミネーションも最近の派手な日本のものよりもはるかに地味でした。日本の正月に 神社に行くように、クリスマスイブにみんなで教会へ行くようで、近くのマクドナルドま で休みでした。一番大事な食べ物屋もほとんど休みであせりました。食べ物にこだ わる私は、きっと一軒くらいは開いているとタクシーで中心街へ繰り出しました。ほと んどの店は閉まっていましたが、幸い一軒、外人相手と思われる英語のメニューの あるレストランが開いていました。やや高かったけど、中々美味しい店でした。危う く、クリスマスイブにろくな料理にありつけないところでした。 ブダペストは首都ですし大都市なので地下鉄もあります。トラム、市内バス、地下鉄 3日間乗り放題のブダペストカードをホテルで勧められ購入しましたが、温泉の割引 等もあり、便利でした。一部の地下鉄のエスカレーターはものすごく長く、スピードが 速いのにはビックリしました。日本ののんびりしたエスカレーターの2倍の速度です。 小さい子供とかは危ないのではないかなどと思うのは、日本人の性分でしょうか? 治安も悪くないし、近代的なまぁまぁの街でした。 最後のブダペストのセ―チェニ温泉視察を終え、昼過ぎのアリタリア便で、ナポリへ 飛びました(またしてもミラノ経由でした)。いよいよ2年振りの7回目のイタリアです。 子供たちにとっては実質初めてです。今回は出発からトラブル続きでしたが、まだま だトラブルは続きます。 ![]() ![]() ![]() ナポリ空港に着くと、曇ってはいますが、ベスビオ火山と今回の目的の一つ、カプリ 島が見えます。私にとっては3度目のナポリですが、17年振りです。最初は夏。前 回は秋、そして今回は冬です。手荷物受け取りでかばんを待っていましたが、いつ までたっても末っ子の荷物が出てきません。長男と次男のはとっくに出てきていま す。結局、出てこず、他の5〜6人と一緒に手荷物紛失係に並びました。さすがイタ リア、紛失したのは一機あたり1人や2人じゃないようです。 三男に、かばんの中身で金目のものはなかったかと聞くと、オルソケラトロジー・レン ズを入れているとのこと。このハード・コンタクトレンズは日本ではまだ普及していま せんが、軽度の近視に有効で、普通と逆で、夜間に装用し、角膜に「くせ」をつけ朝 レンズをはずすと、昼間はレンズなしで視力が回復するもので、両方で18万円ほど します。近視進行の抑制効果もあり、子供には特に有効です。 いつものように荷物の少ない私は、貴重品用のハンドバッグ程度で、幸い残りのチ ケット4人分等は手元にあります。でも、少ない着替えは次男のかばんに入れたも のの、しばらく不要な日本円の3万5千円ほどを三男のかばんに入れたのを思い出 しました。かばん自体も直前に買ってやったばっかりでした。戻ってくるのを祈るのみ です。空港の手荷物紛失係のお姉さんはイタリア人らしく楽観的で、たいていは遅い 便か明日の便で届くと呑気な事を言ってくれます。でも信じるしかありません。 仕方なく、手続きをしてアリバスにてナポリ中央駅へ行きました。たった20分ほどで 駅に着き、近くに予約してあったホテルへ行きましたが外は雨です。さすがイタリア で、ずいぶん前にインターネットでツィンで2部屋予約してあるのに、2階と3階でか なり離れた部屋しか準備されていません。三男と私が同じ部屋でしたが、さすがに かばんが無くなったのでしょんぼりしていました。 でも、そんなことにめげていてもしょうがないので、早速レストランへ向かいました。 迷わずダンテ広場アルバ門近くの「ポルタルバ」へ行きました。ここは、2年前に知り 合ったフィレンツェ在住の日本人の女性お薦めの店でもあり、地球の歩き方にも載 っていたので絶対に行くと決めていました。お目当ては、ナポリ名物のピザ、それも シンプルでおいしいので有名なマルゲリ―タです。トマトとバジリコとモッツァレッラチ ーズです。しかも彼女の薦めで普通のモッツァレッラチーズのかわりに水牛の乳か ら取れる特別のモッツァレッラチーズ(ブッファラ)を頼みました。 美味しい。とにかく、おいしい!モッツァレッラチーズの白い色が目立つピッツァで す。パリパリではなく、生地の厚いピッツァですが、丸めて食べないと折れ曲がる柔 らかいタイプで、敢えて表現するとモチモチした感じです。香川で本物の讃岐うどん を食べた時と同じ感動です。言葉では表現できません。本物を食べた人にしかわか らない味です。美味しさです。しかも、ウェイターのおじさんは愛嬌満点です。ハンガ リーを先にして正解でした。イタリアが先立ったら、ハンガリーの食べ物をどう感じた か?ハンガリーがかわいそうです。 スパゲッティは spaghetti al pomodoro で、トマトソース味ですが、ミニトマトも丸ごと 入っています。これもシンプルながらすこぶるおいしい。かばんのことなんか忘れて みんな夢中で食べていました。 ![]() ![]() ![]() 翌朝、目が覚めると今日も雨。雨が上がる保障もないので、ナポリに来た目的の一 つ、カプリ島行きを決行することにしました。バスでべヴェレッロ港へ。どこで降りて いいかがわからないのが、バスの難しいところですが、何とかバスの中の電光表示 の prossima fermata (next stop) が読めるので、無事に目的地で降りられましたが、 港が広く、最初に大きな建物の船着場へ行くと誰もいません。係員を見つけて聞く と、何とアフリカのチュニジア行きの遠距離便の船着場でした。旅行好きの私の胸が 騒ぎます。何と!南イタリアはアフリカにも近いのです。スペインとモロッコがジブラ ルタル海峡をはさんで近いのはよく知っていましたが、イタリアがアフリカに近いとい う認識はありませんでした。うかつでした。 子供に指摘されたのですが、コンビニはイタリアにはほとんどなさそうでした。ファー ストフードの店も余りなさそうですし、自動販売機もほとんど見かけませんでした。で も、ずっと雨が降っている中、駅やこの港の近くで傘(ombrello)を売っている中国人 や東洋人を沢山見かけました。1本5ユーロ(約700円)ですが、見た目はカラフル で安いと思いましたが、結局使い捨てのボロでした。変なところをけちるのが私の悪 い癖で、4人で2本だけ傘を買いました。実用的な私は、スキー場で使えるダウンジ ャケットでフードを出せば少々の雨は気になりません。残りの子供ら3人で2本の傘 で何とかさせました。 隣と言っても、歩くと少し距離のある船着場からカプリ島行きの高速船に乗りまし た。40分ほどでした。でも、次男は少し船酔いしていたので、休憩のために軽食の 店へ立ち寄りました。ここでも、pizza margherita を頼みましたが、こんな店でもおい しかったです。insalata di Caprese(カプリ風サラダ)は名前に興味があり頼んでみま したが、真っ赤なトマトと真っ白なモッツァレッラチーズの輪切りを交互に並べてあり 見た目もきれいでおいしかったです。 さぁ、いよいよお目当ての Grotta azzurra(青の洞窟)です。普通は、ここマリーナ・ グランデからモーターボートで入り口まで行き、手漕ぎボートに乗り換えるのです が、次男が船酔いした後でもあり、タクシーで陸路から行くことにしました。小さな島 ですが、山に登っていく感じで洞窟の近くの岩場に行くまでに40分程かかりました。 幸い、タクシーの運ちゃんが英語ができ、色々なことが聞け有意義でした。私が思っ ていたように、イタリア語とスペイン語はかなり近く、イタリアの学校ではわざわざス ペイン語は教えないと言っていました。タクシーが青の洞窟の近くの岩場へ着き、岩 場の階段を下りていっても手漕ぎボートが見当たりません。恐れていた通り、雨はと もかく、風が強く波が高く、こんな日は入り口の狭い洞窟へは入れないのです。残 念!岩場から入り口は覗くことができましたが、波が相当高く、これじゃ危ないなぁと 諦めがつきました。 タクシーの運ちゃんから今日はダメかもしれないと聞いていたせいもあり、我ながら 不思議なくらい今回は悔しさがありませんでした。そうか、また来ればいいやという 感じです。運ちゃんに聞いたところでは、人が多過ぎる夏休みを少しはずした頃がベ ストだそうです。強い太陽光線が透き通った水を通して、洞窟内を不思議な青い光 で満たすそうで、やはり冬はお薦めではなさそうです。15年以上も前に、ペルーの クスコに行った時は、高山病でマチュピチュに行けなかったのが未だに悔しい私で すが、最近とみにイタリアの虜になっている私は、2年以内にまた来ようと誓ったの でした。 結局、タクシーを借り切った形になり、島の中央にあるアナカプリのヴィットリア広場 の駐車場で待ってもらい、目の前の名も知らぬトラットリアに入り昼食を。結論から 言うと、今回の美味しさ満載の南イタリア旅行でも文句なく最高の店でした。ピザもも ちろん美味しかったけど、ここのトマト・スパゲッティが最高でした。光沢のある麺。お いしいミニトマト。トマトにうるさい私にも満足できる最高の味でした。この店では、日 本人の団体客が一緒でしたが、一般的に安いけどろくなレストランで食べられないツ アー客でさえ、この店にいる日本人はみんな幸せそうな顔をしていました。満足感が 満ち溢れています。ここでも、ウェイターが明るく雰囲気もいいです。やはり、南イタリ アです。海外旅行で一番人気のあるのが遠いイタリアというのも当然の気がします。 タクシーで最後にマリーナ・ピッコラ(マリーナ・グランデの反対側で名前通り小さい 湾)を見物してからソレントへ行くために船着場のマリーナ・グランデへ戻りました。 青の洞窟の入り口の海といい、マリーナ・ピッコラといい「碧さ」が印象的でした。冬 の雨の日なのに、この空色というか薄い青色と言うか、鮮やかでした。太陽のまぶし い夏だったらきっともっと鮮やかだろうと想像できます。イタリアのサッカー代表を「ア ズーリ(青の軍団)」と呼ぶのはきっとこのことだろうと一人で勝手に納得しました。イ タリアの国旗にも青色はないし、何故ユニフォームが青色なのか今まで不思議に思 っていました。ユニフォームで言えば、アルゼンチンの空色と白色のストライプ。ブラ ジルの黄色と緑などは国旗から由来していると思われます が、イタリアは国旗と関係ないから不思議でした。 ナポリ行きの船でなく、わざと遠回りのソレント行きの船に乗ったのは途中のポンペ イの遺跡を子供達に見せるためでしたが、あいにくの雨で背後にあるベスビオ火山 も見えないくらいで、結局、環ベスビオ鉄道に乗ってナポリへ帰って来ました。ソレン トは「帰れソレント」の民謡で有名ですが、長男は高校時代にマニアックな厳しい音 楽の先生にこの歌をイタリア語で全部丸暗記させられたそうで、確かに全部歌えま した。しかもビックリしたことに、ガイドブックに書いてある通り、ソレントなまりで「スッ リィエント」とちゃんと発音していました。我が子ながら大したものです。 今回は時間的にソレントは最初から通過だけのつもりでしたが、いい所です。断崖 の海岸線を見下ろす町で、世界遺産のアマルフィ海岸の始まりです。ナポリ湾の裏 側に海岸が続きます。女性には興味があると思われるカメオ(浮き彫り)が有名で、 かみさんと義父と2歳の長男とで秋に来た時には、カメオの店に行ったのをよく覚え ています。その時の海岸沿いのトラットリアでのマカロニのおいしかったことも未だに 忘れられません。その前の独身時代に夏に来た時には、カプリ島を見ながら泳いだ 記憶もあります。ちょうど、故郷の国見で姫島を見ながらいつも泳いでいたように。 その時、ソレントのユースホステルの大部屋に泊まりましたが、夜門限があるので、 世界中の若者と入り口の塀をよじ登った楽しい思い出があります。私も若かった。 ポンペイに寄らなかった分、午後4時頃にはナポリのホテルに着きました。すると、フ ロントの女性から空港から電話があり、荷物が見つかったとの嬉しい知らせです。で も、彼女が言うには、待っていると荷物が届くのは2、3日かかるから自分で取りに 行ったほうがいいということでした。それで私一人でバスで近いし、空港の手荷物紛 失係に再度出向きました。ところが、この辺がイタリアのいい加減さで、「荷物が見つ かった」はずなのに、この部屋で自分のかばんを捜せというのです。でも、見当たり ません。不安になると、昨日と同じ担当の女性は涼しい顔で、じゃーもう一つの部屋 かもしれないとレントゲン探知機の部屋を逆行して、手荷物受け取りのレーンのある 場所近くの部屋の鍵を開けてくれ、捜すように言われました。ようやく、三男のかば んらしきのを見つけましたが、チェックイン時のかばんに巻いた紙はアリタリアの緑 色のはずなのに、赤い紙が巻いています。でも、幸いかばんの鍵を持っているの で、開けてみるとやはり三男のかばんでした。この紙のせいで、どっか違う空港へ行 ったのでしょう。それにしても、何を根拠に荷物が見つかったと連絡してきたのでしょ う? 3日目と移動日の4日目は、ぶらぶらと町を歩きました。「See Naples and die!(ナポ リを見て死ね!)」と言いますが、正直3回目でもそんなにきれいな町という印象は ありません。きっと、海からの夜景がきれいなんだろうとは想像できますが、今回は 冬ですからなおのことクルージングしようとは思いませんでした。むしろ、旧市街はゴ ミゴミして狭く、石畳で車なんかはガタガタします。でも、歌にもあるサンタルチアの 港は広々として、しゃれたレストランがあります。ウェイター(そう言えば、ウェートレ スは少ない印象です)はどこも愛嬌一杯で、本当か嘘か、チップは勘定には入って いるが、お店に入るだけで自分たちには入らないと、別にチップを要求します。真偽 のほどは定かでないですが、けちな私も愛嬌のある彼らの要求には逆らえず、チッ プを渡しました。 義父と一緒の時は秋でしたが、「飯屋」という雰囲気の庶民的なトラットリアにはテレ ビが置いてありました。当時、私の大好きなアルゼンチンのマラドーナがセリエAの ナポリのチームで活躍していました。まだ当時、日本ではJリーグも始まっていませ んでしたが、私は何故かその当時からサッカーが好きでマラドーナのファンでした。 日本の飯屋で野球の巨人戦を見るような感覚で、マラドーナの試合を見るのは不思 議な感覚でした。確か、その当時はナポリはマラドーナもいて強豪チームでしたが、 今ではセリエB以下のようです。その時泊まったアメリカのモーテルのような安ホテ ルからは、夜遅くまで子供たちのストリートサッカーの様子が窺えました。ああ、イタ リアだなぁと思ったものです。 眺めの良さそうな高台を目指して、丘の上にある国立カポディモンテ美術館へ行き ました。途中でわざわざケーブルカーに乗りましたが、完全に名前負けでした。サン フランシスコのような眺めの良さを期待したのですが、ナポリのケーブルカーは斜面 を走るだけで、中はトンネルの中で真っ暗、地下鉄と変わりはありませんでした。こ の美術館はやはりイスラムの影響らしく、パテオ(中庭)があり、期待通り、ナポリ湾 を見渡せる外庭もありました。 今回の旅は、子供連れでもあり、私にしては珍しくタクシーをずいぶん使いました が、アメリカと同じでほとんど流しはなく、有名な観光地に待機しているのみで、不便 なことに気づきました。この美術館の帰りもどうしようかと困っていると、バスが見つ かりました。すぐには出発しそうにもないけど、ちゃんとどこかまで行きそうでした。で も、切符を買うタバコ屋も見つかりません。すると、人のよさそうなおばちゃんが、そ このトラットリアで売っているよと教えてくれました。 バスに戻って、切符の刻印をしようとしたら、さっきのおせっかいな、でも人のいいお ばちゃんが止めろと言っているみたいです。どうも、90分間有効な切符なので、バス が動き出す寸前まで刻印するなと教えてくれているようです。愛すべきおせっかいな おばちゃんです。そして、そのおばちゃんは日本語の文章を知っていると言うので す。どうせ、「さよなら」程度だろうと思っていたら、「オトコトオンナワカブキオミニイッ タ。」と言うのです。「男と女は歌舞伎を見に行った。」と理解するまでちょっとかかり ました。子供達と爆笑です。こんな日本語、一体誰が教えたのでしょう? そう言えば、ブダペストのドネル・ケバブの店でも、「マエギリ」と言われて、「前蹴り」 と理解できるまで少し時間がかかりました。その後は、「ヨコギリ」が「横蹴り」とはす ぐわかりましたが。外国では、日本人が思っている以上に空手等の武道が盛んです し、この手の日本語の単語は国際語になっています。ただ、発音が少し変わります が。 駅の近くのホテルはやはり便利でした。バス停も地下鉄の駅も環ベスビオ鉄道の駅 も全て近くでした。絵葉書を出そうとして、駅の近くの郵便局へ行きました。でも、何 故か切手は駅の入り口のタバコ屋で売っているというのです。それで、変だなと思い つつ入り口のタバコ屋へ行くと、今度は駅の構内のタバコ屋で切手を売っていると 言われるのです。で、狐につつまれた心境で駅の構内のタバコ屋へ行くとここでは 切手は売ってないと言われるのです。結局、たらい回しにされ、絵葉書一つ日本に 出すこともできませんでした。急がないのでパレルモに行ってからにしようと思いまし たが、そもそも何故郵便局で切手も売ってくれなかったのか不明です。旅行にはい いですが、イタリアに住むのは大変かもしれません。 29日の夕方、パレルモへ移動するためナポリ空港に行くため、ホテルの近くのバス 停でバスを待っていました。よりによって、4日間ともナポリはずっと雨でした。あるタ クシーがしつこく声を掛けてきます。ボッタクリのタクシーも多いと聞いていたので、 向こうから声をかけてくるようなタクシーを相手にする気は全くありませんでしたが、 どうもバス代が一人3ユーロで、4人だと12ユーロでタクシー代と変わらないと言っ ているようです。まんざら詐欺でもなさそうです。意を決して、そのタクシーに乗りまし たが、本当にたったの12ユーロでした。 夜の便で、ナポリからパレルモへ。この路線だけは、聞いたこともないアルプス・イー グルという航空会社で、単純な私はそれだけで嬉しく機体の写真を撮りました。ここ の空港は市街地から大分遠く、プルマン(バス)で45分程度かかりました。パレルモ のホテルは、私にしては珍しく4つ星で、ツインが2部屋で4万円以上とブダペストの ホテルの4倍以上の値段です。夜も遅く、選ぶ余裕もなくホテルのレストランで食事 をしました。それも遅いので、メニューもステーキだけで付け合せにポテト料理とまる でアメリカのメニューのようでしたが、非常においしかったです。パスタやピザがなか ったので珍しくデザートも頼みました。一般的に、高級ホテルのレストランは値段の 割にはあまりおいしくないというのが私の先入観ですが、ここは違っていました。さす が、イタリアです。 翌日はのんびり起きて、さぁどこに行こうかという感じです。ナポリと違って、マフィア の出身地として有名なシチリア島へ来て見たかっただけで、何のあてもありません。 南イタリアで貧しく、少しは治安も悪いのかなと思ったのも、少し高いホテルを取った 理由です。 ![]() ![]() ![]() すると、世界史の得意だった長男がカプチン会修道院の地下墓地、カタコンベへ行 きたいと言います。もちろん、反対する理由もありません。私は色々なところへ行き ましたが、かなり印象的な場所でした。何と8千体ものミイラの場所なのです。横向 きに安置しているのもありますが、むしろ立ったまま安置しているミイラが多いので す。しかも、よく見ると乾燥の具合が様々で、解剖の実習のようにほとんど骨だけの もあれば、かなり皮膚や髪の毛の保存されているのもあります。服も着たままです。 金持ちの幼い娘さんの遺体らしく有名なロザリアちゃんのはきれいに祭られ、ろう人 形のようでした。地下室でにおいも独特ですし、美術館では写真も撮れるこの国でも 写真撮影禁止と書いています。帽子の好きな長男と次男は、帽子を脱ぐように係員 に注意されました。もちろん、静かな場所です。 さすがに重苦しい気持ちで外に出ると、地上の入り口がありここは無料で勝手に入 れるようです。私の勘があたりました。一般のお墓です。アルゼンチンのブエノスア イレスで元大統領の奥さんとして有名なエビータのお墓を見に行ったのを思い出し ました。当然ながら似ています。アルゼンチンの白人は主にスペイン人とイタリア人 だからです。金持ちの墓は小さな家のように立派です。ただビックリしたのは、お墓 に故人の写真が埋め込んであることです。クリスマスの後で年末のせいか、どのお 墓も豪華に花がカラフルに飾ってあります。やはり家族の絆の強いことで有名なシ チリア島だから特別なのでしょうか?かみさんの墓を買ったばかりの私には非常に 感慨深いものがありました。 携帯電話のことを書きましたが、私のはボーダフォンで日本ではマイナーですが、ブ ダペスト、ナポリ、パレルモどこに行っても、日本のNTTドコモのように看板が目立ち ます。イギリスが本社の会社だけあってヨーロッパでは主流のようで、国際ローミン グには丁度良かったようで、どこでも電波の受信状態は良好でした。 パレルモでは型の如く、教会などの歴史的建物を見学して回りました。ある広場で 馬車を見つけました。子供連れでもあるし乗ろうと気楽に思いましたが、「チェント」と 言われました。最初ピンときませんでしたが、何と100ユーロ(約1万4千円)もする ようです。幾らなんでも高過ぎると思い、頑張って何とか50ユーロまで値切りまし た。中々快適でした。貧しいというイメージとは裏腹に、ここパレルモはむしろイタリ アにしては石畳も少なく、普通に舗装されていました。そのせいか、むしろモダンな 感じがしました。 ある時、地下のトイレに行くと、有料でした。小銭で入れるのでさすがに気にはなりま せんでしたが、むしろエレベーターのようにしっかりしたドアが気になりました。何故 なら、以前にシンガポールの高級マンションのエレベーターに1時間以上も閉じ込め られ怖い思いをしたことがあるからです。ここはイタリア。食べ物には信頼のあるも のの、少し不安でした。それでも、勇気を出して中に入り、用を足してボタンを押すと 無事にドアがスムーズに開きました。安堵して外に出ようとすると、何とちゃっかりタ ダで入れるようにイタリア人が飛び込んできました。 馬車を降りてお土産屋に入ると、お店の人にお前は「professore か?」と聞かれまし た。たぶん、教授という意味ではなく学校の先生かという意味だろうと思います。確 かに、家族とは言え、男の子3人とオッサン一人。家族というよりは、生徒を連れた 引率の先生に見えたのでしょう。一度くらいはパソコンのメールをチェックしようとイ ンターネットカフェを探し入りました。でも、日本語が読めず全部文字化けしているの にビックリしました。よく考えると当たり前のことですが、2年前に入ったフィレンツェ のインターネットカフェがたまたま日本語対応と書いてあり、日本語が書けないもの の読めたからでした。 ナポリでは郵便局に行っても何故か出せない絵葉書でしたが、ここパレルモでは無 事に引き受けてもらえました。でも、仕事ぶりはとろいもので、特殊な業務でもあるか のように10分以上もかかりました。こっちは暇な旅行中だからいいようなものの、日 常だったらさすがに苛立つでしょう。 少ししゃれたレストランで、いつものようにまずトマト・スパゲッティを3皿程度注文す ると、ここでは中年のウェイターが4人なので4皿に取り分けてくれました。最初に、 末っ子の皿を重々しく運んできました。ところが、「piccolo(小さい)」と言って持ってき た皿には一口分のスパゲッティしか入っていません。からかわれているのです。み んなで大爆笑しました。もちろん、後でちゃんとやり直して4等分してくれましたが。こ こでは、少し奮発してロブスターを一人一匹ずつ注文しました。ところが、またしても ウェイターは「piccolo(小さい)」と言いながら、末っ子の皿にロブスターの足一本だ け入れて持ってきました。イタリアでも、こんなに愉快なレストランは経験ありませ ん。やはり、南イタリアは陽気なのでしょう。今回の旅でイタリアはもちろん、特に南 イタリアの大ファンになりました。 最後の夜は大晦日だったので、カウントダウンを期待して9時過ぎの遅いディナーを 中心街のレストランに予約しました。やはり特別な日らしくて、メニューは大晦日スペ シャルらしく、かなり限られていて、それも一皿20ユーロ均一に近いもので、いつも のワンパターンのトマト・スパゲッティとマルゲリータピザはメニューにもありません でした。それで、肉料理を中心に注文しましたが、どっちみち非常においしかったで す。 食事が終わると、計算どおり11時過ぎです。人ごみ目指して歩いて行きました。途 中から、爆竹の音がバンバンします。音だけならいいのですが、悪ガキどもが爆竹 を近くに投げてくるので怖くてたまりません。時々、不良品の爆竹らしく爆弾のような すごい音がします。長男は特にこういう音に弱く、イライラしていましたが、帰ろうとま では言わないので、何とか新年を迎えるまで外にいました。爆竹でけがをしたのか どうかはわかりませんが、救急車も出動していました。公園ではずっと野外コンサー トをやっています。カウントダウンで新年を迎えると何が起こるか楽しみにしている と、ポリテアーマ劇場の建物を背景に花火が始まりました。これがイタリアの大晦日 の行事なのだろうかなあと思いつつ花火を見ながら私はある決心をしました。 今回のイタリア旅行は南のせいか、ドネル・ケバブの店が目立ちましたし、建物もや はりイスラムの影響をあちこちで感じました。北イタリアでは余り見かけない黒人も 目立ちました。ただ、南イタリアとは言え、冬は寒いというのは想定外でした。今回の 旅の教訓は、ヨーロッパは南イタリアでも冬は寒く、ブラブラ外を歩き回る貧乏旅行 には少し厳しいということです。冬のヨーロッパ行きの格安航空券が非常に安いの が改めて納得できました。 日本への帰りはパレルモから再びミラノ経由です。トリノ冬季オリンピックでミラノとト リノが近く、冬季オリンピックが開催できるくらいでアルプスが近いことに気がついた ので、ひょっとしたらと思い、離陸時は空席の窓側へ移動しました。大正解で、ミラノ を飛び立つと眼下にはアルプスの山々が綺麗に見えました。 こうして、ハンガリー、イタリア3都市の旅は終わったわけですが、ますますイタリア にはまった私は、いよいよ本気でイタリア語を勉強しようと決心しました。中学1年生 で中学の英文法を全てマスターした私としては、本気をだせばそんなに難しくないと 思います。似ているスペイン語も少しかじっていますし。英語の Be 動詞の活用のよ うに人称によって全て動詞が変化するし大変ではありますが。語学習得のコツはわ かっているので、安い文法のテキスト(安いのに何と CD 付き)と辞書だけ買いまし た。15歳に戻ったようで楽しいです。但し、記憶力は落ちていますが。
ブッ飛びドクターの海外貧乏旅行記(3)ベニスでの学会 |